私は音楽を聴くことが好きです。
そして最近、自分はなぜ音楽を買うのだろうと考えることがありました。
今の時代、音楽を聴くだけならサブスクリプションで十分です。
膨大な数の楽曲を自由に聴くことができ、好きな曲を集めて自分だけのライブラリを作ることもできます。
実際、スマートフォンの中に好きな音楽を並べること自体は、サブスクリプションでも可能です。
それでも私は、気に入った曲を購入したくなります。
なぜなのだろう。
そう考えた時、一つの答えにたどり着きました。
私は単に音楽を集めたいのではなく、自分のお金で手に入れた音楽だけで構成されたライブラリを育てたいのだと思います。
気になる曲と出会う。
何度も聴く。
本当に欲しいか考える。
そして、自分のお金で購入する。
そうしてライブラリに加わった曲には、ただのデータ以上の価値があります。
その曲を選んだ時の気持ちや、その頃の記憶が重なっているからです。
私のライブラリには、好きな曲しかありません。
しかも、その一曲一曲には、自分で選び、自分で購入したという事実があります。
サブスクリプションのライブラリにも好きな曲は並びます。
しかし、購入した音楽だけで作られたライブラリには、それとは少し違う満足感があります。
それは所有しているという安心感なのかもしれません。
あるいは、自分の価値観で選び抜いた音楽が積み重なっていく喜びなのかもしれません。
うまく言葉にはできませんが、そこにはサブスクリプションでは満たされない何かがあります。
私は、音楽は単に音やメロディや歌詞を聴くだけのものではないと思っています。
その曲とどう出会ったのか。
なぜ好きになったのか。
どんな気持ちで手に入れたのか。
そうした思い入れまで含めて、私たちは音楽を聴いているのではないでしょうか。
同じ曲であっても、「サブスクリプションで流れている曲」として聴くのと、「自分で選び、お金を払って購入した曲」として聴くのとでは、受け取る気持ちが少し違います。
音源そのものは同じかもしれません。
しかし、その曲に対する思い入れや、自分との関係性は違います。
そして、その心の持ちようこそが、音楽をより豊かなものにしてくれるのだと思います。
昔はCD棚がありました。
聴きたい音楽があれば、棚からCDを探し、プレーヤーに入れて再生していました。
音楽ライブラリは家の中にありました。
しかし今は違います。
スマートフォンの中に、自分だけの音楽ライブラリがあります。
仕事の移動中でも。
コーヒーを飲みながらでも。
散歩中でも。
畑で作業をしている時でも。
いつでも、自分が選び、購入し、積み上げてきた音楽たちに出会うことができます。
それは単なるプレイリストではありません。
長い時間をかけて育ててきた、自分だけの音楽ライブラリです。
しかも、そのライブラリをポケットに入れて持ち歩くことができます。
私はそのことに、とても豊かさを感じます。
音楽をたくさん持っていることではありません。
自分が本当に好きだと思った音楽を、自分の意思で選び、自分のお金で手に入れ、その積み重ねをいつでも持ち歩けること。
それこそが、今の私にとっての音楽の楽しみ方なのだと思います。
だから私は今日も、気に入った曲を一曲ずつライブラリに加えていきます。
音楽を集めているというよりも、自分だけの音楽ライブラリを育てているのかもしれません。