今日、仕事終わりの会議の中で、ふと感じたことがありました。
僕はこれまで、自分なりに心を込めて仕事をしてきたつもりです。
丁寧に。
誠実に。
相手との関係も大切にしながら。
でも今日、ある瞬間に、
「ああ、会社というものは、“法人の人格”で動いているんだな。」
そんな感覚が見えました。
もちろん、社長や先輩、同僚には感情があります。
人としての思いや、人情もあります。
だから、決して誰かが冷たいわけではありません。
僕自身も、そこに不満があるわけではないのです。
ただ、“法人”として会社を見た時、そこにはまた別の人格のようなものが存在している。
そんな感覚がありました。
法人には、心や感情は、あまり関係ありません。
きちんと役割を果たしたか。
成果を上げたか。
責任を果たしたか。
そういう構造の中で、静かに判断されていく。
そこには、人間同士の感情とはまた違う、合理性や継続性があります。
そして、社長や先輩、同僚もまた、その法人という構造の中で生きています。
個人的には、僕を良く思ってくれていることもあると思います。
感情もあると思います。
でも、“会社として判断する”となった瞬間、それは個人の私情ではなく、“法人としての判断”へ変わっていく。
つまり、
「個人的にはそう思っている。」
けれど、
「法人として判断するなら、こうなる。」
ということが、普通に起こり得るのだと思いました。
そこには、人間としての感情と、法人としての判断が、同時に存在しています。
だからこそ、どれだけ心を込めて仕事をしていても、法人として見れば、自分は“役割を担う一人”として存在している。
その感覚が、今日ふと見えたのです。
そして同時に、自分は、この法人の長い歴史の中の、ほんの一部分を担っているに過ぎないのだとも感じました。
今、自分が回している仕事も、自分のものではありません。
会社の仕事であり、法人の流れの中にある仕事。
僕はその中で、一時的に役割を預かっている。
そんな感覚です。
法人という人格は、とてもドライです。
そして、とても厳しい。
でも、それは誰かが悪いわけではなく、“法人とはそういう存在なのだ”ということなのかもしれません。
だからこそ、人は仕事に誠実でありながらも、自分自身まで会社と同化しすぎないことも大切なのだと思いました。
今日、少しだけ、社会の構造を静かに理解したような気がしています。