先日、あるロースターで、一杯1,000円を超えるパナマゲイシャを飲んだ。
普段飲んでいるコーヒーとは、きっと別格なのだろう。
そんな期待を込めて注文した。
けれど、実際に飲んでみた感想は、少し意外なものだった。
もちろん、整った味ではあった。
華やかな香りもあり、雑味も少ない。
丁寧につくられたコーヒーだということは伝わってきた。
ただ、自分の中では、「価格が2倍以上違うほどの感動」はなかった。
もっとフレーバーが爆発するような個性。
飲んだ瞬間に記憶へ残るような特徴。
そういうものを、どこか期待していたのかもしれない。
けれど実際は、「普通のコーヒーに、少し華やかな香りが加わった」という印象だった。
もちろん、これは好みの問題でもあると思う。
そのロースターが考える“美しいパナマゲイシャ”という味わいが、そこにはあったのだろう。
ただ、自分としては、もし一杯1,000円を超える価格をつけるなら、良くも悪くも、もう少し強い個性が欲しかった。
もっと攻めた焙煎でもよかったのではないか。
もう少し大胆にフレーバーを出しても面白かったのではないか。
そんなことを感じた。
結局、どれだけ希少価値やブランドがあったとしても、飲む側は自分の舌で感じるしかない。
「高級だから美味しい」ではなく、「自分がどう感じたか」。
そこが、コーヒーの面白さでもあると思う。
だからこそ、自分には、一杯500〜600円ほどのコーヒーがちょうど合っているのかもしれない。
スーパーで買う豆でも、十分に「美味しい」と感じることがある。
それでも、時々ふと思う。
また、あの時のように、本当に心を動かされるゲイシャに出会いたいな、と。
そんなことを思いながら、今日もコーヒーを飲んでいる。