私は以前、自分らしくあるということは、いつも同じ自分でいることだと思っていました。
どんな場所でも、どんな相手でも、変わらない自分でいること。
それが自分らしさだと思っていたのです。
けれど最近は、少し考え方が変わってきました。
自分らしさとは、必ずしも一つの表現に固執することではないのかもしれません。
例えば、私には私なりの好きなものがあります。
こういう雰囲気が好き。
こういう振る舞いが好き。
こういう言葉遣いが好き。
こういう自分でありたい。
そういう気持ちは確かにあります。
けれど、社会の中で生きている以上、私は私一人だけではありません。
家庭では夫であり、父であり。
仕事では会社の一員であり、時には会社の顔として見られることもあります。
そう考えた時、自分の内側にあるものを、そのまま100%表現することだけが正解ではないように思うのです。
本当はこうしたい。
本当はこう表現したい。
そう思いながらも、その場に応じて表現を調整する。
今はこれを出そう。
今はこれは出さずにおこう。
今は一歩引こう。
今は少し前に出よう。
そうした選択もまた、自分らしさの一部なのではないでしょうか。
私はそれを、自分を偽ることだとは思いません。
むしろ、自分をよく理解しているからこそできることだと思っています。
例えば建築物には設計があります。
一見すると自然に見える建物も、実際には細部まで計算されています。
強度や安全性、使いやすさや見た目に至るまで、すべて設計者の意図があります。
人も少し似ているのかもしれません。
無意識の自分も確かにあります。
けれど、自分を深く理解していくと、どうありたいかを意識的に選べるようになっていきます。
どういう言葉を使うのか。
どういう振る舞いをするのか。
どういう印象を与えるのか。
それらを自分なりに設計していく。
それは演技ではありません。
本当の自分を隠すことでもありません。
自分の内側にあるものを、どのように表現するかを選んでいるだけです。
だから私は、自分らしさとは固定されたものではないと思っています。
場所によって。
相手によって。
状況によって。
表現は変わる。
けれど、その奥にある自分自身は変わらない。
むしろ、その場に応じて自然に形を変えられることこそ、大人の柔らかさなのかもしれません。
私もまだ道半ばです。
どれだけできているかは分かりません。
それでも、自分らしさとは何かを考え続けた先で、ひとつだけ思うことがあります。
自分らしさとは、いつも同じ自分でいることではない。
その場にふさわしい形で、自分を表現できることなのだと思います。