人は過去を振り返った時、よくこう思います。
「あの時は未熟だったな」
「あんなことをしなければよかった」
「あんな考え方をしていたなんて恥ずかしい」
しかし、私は最近、その捉え方そのものが少し違うのではないかと思うようになりました。
なぜなら、過去が未熟に見えること自体は、とても自然なことだからです。
むしろ、それは成長している証なのだと思います。
例えば、10年前の自分を振り返った時、「若かったな」と思うことがあります。
考え方も浅かったかもしれません。
見えている世界も狭かったかもしれません。
しかし、それは悪いことではありません。
なぜなら、その時の自分は、その時の自分なりに精一杯生きていたからです。
その時の知識があり、その時の経験があり、その時の価値観がありました。
その中で出せる最善を尽くしていたのです。
だから、過去の自分は未熟だったかもしれませんが、同時に、その時の完成形でもありました。
今の自分から見れば未熟に見える。
しかし、その時の自分から見れば、それが精一杯だった。
この二つは矛盾しません。
どちらも事実です。
私たちはつい、過去の自分を今の自分の物差しで評価してしまいます。
しかし、それは大人が子どもに向かって「なぜそんなことも分からなかったのか」と言うようなものです。
分からなくて当然だったのです。
経験がなかったのですから。
未熟であることは失敗ではありません。
未熟であることは欠点でもありません。
未熟であることは、人が成長の途中にいるというだけのことです。
だから、過去の自分を否定する必要はありません。
かといって、必要以上に褒め称える必要もありません。
ただ、「あの時はそうだった」と認めればいいのです。
過去は過去。
今は今。
それだけです。
そして人生は続いていきます。
今の自分もまた、未来の自分から見れば未熟なのかもしれません。
しかし、それもまた自然なことです。
人は変わります。
価値観も変わります。
見える景色も変わります。
だからこそ、過去の未熟さとは、否定するものではなく、成長の証として受け取ることができるのだと思います。
「あの頃は若かったな」
そう笑いながら振り返ることができるなら、それは自分がちゃんと人生を歩いてきた証なのです。
過去の未熟さは、失敗の記録ではありません。
今の自分へと続く、大切な過程なのだと思います。