先日、あるロースターでパナマゲイシャをいただきました。

正直に言うと、期待していた味ではありませんでした。

ゲイシャ特有の花のような香りや華やかさはほとんど感じられず、「本当にゲイシャなのだろうか」と思ってしまうほどでした。

もちろん、それは私の好みの問題もあるでしょうし、その時のロットや焙煎の考え方もあると思います。

コーヒーですから、好きな味もあれば、好みに合わない味もあります。

しかし、その日の帰り道にふと思いました。

私は本当にコーヒーの味だけを求めてロースターへ通っているのだろうか、と。

振り返ってみると、私が普段通っているロースターは、ふらっと一度立ち寄っただけのお店ではありません。

何度も通い、何度も会話をし、顔を覚えていただいている場所です。

焙煎士さんがいて、その人なりの考え方があり、その人なりの焙煎があります。

だからこそ、時には自分の好みに合わない豆もあるでしょう。

それでも私はまた足を運びます。

なぜなら、そのロースターとの関わり自体に価値を感じているからです。

同じコーヒーが好きな人同士として、同じ時間を共有する。

その人が選んだ豆を飲み、その人が考えた焙煎に触れる。

それは単にコーヒーを飲むという行為以上のものなのかもしれません。

そして、そんな日々の積み重ねの中で、たまに出会うのです。

「こんな美味しいコーヒーは飲んだことがない」

そう思えるような一杯に。

数ある豆の中から、その時だけのロット、その時だけの焙煎、その時だけの抽出によって生まれた奇跡のような一杯です。

しかし、その味は二度と飲めないかもしれません。

収穫も変わる。

ロットも変わる。

焙煎も変わる。

だからこそ、その一杯は特別なのです。

コーヒーには少し切ないところがあります。

同じ味は二度と再現できないかもしれない。

けれど、その儚さがあるからこそ、一杯の感動は心に残ります。

ロースターへ通う本当の理由は、美味しいコーヒーを飲むためだけではないのかもしれません。

人との縁を楽しみながら、まだ見ぬ感動の一杯に出会うため。

私はきっと、これからもそんな気持ちでロースターへ通い続けるのだと思います。